2018年5月19日土曜日

20180519 しばらくどうするか

タロット道を基本的に提示するタロットカードの本は初校が終わって、再校を待たなくてはならない。動画は、時々ぼちぼち作ることにして、いま何しようかと考えている。
わたしは四柱推命的に言えば、食傷星過剰で、吐き出すことに本性があり、書いたり話したりを続けないことには死んでしまうという特性を持っている。つまり暗闇の中で、ノートに文字を書いている場所だけ明るく、その行為だけが、自分の住む世界すなわち立方体の箱を維持できているという存在だ。自分の住む世界はいまのところ地球。なので、地球上では、常に休みなく吐き出す、書く、話すということを続けないことにはこの世界では生存できない。
こういう食傷星に引き寄せられるのは、印星の人々で、それは勉強する、知識を求める、職業として先生とか研究家とか、いっぱい本を読んでいるような人々で、まあ教養が高いという人たちだ。わたしはご飯を作ってるおばちゃんみたいな感じで、欠食児童たちが集まってくるということだ。

で、数年前に、連合から、多角的な宇宙への拡大、その旅の案内所みたいな仕事をしてほしいという依頼があったことは何冊かの本で書いた。この仕事をしているのは、地球人では、だいたい35人で、わたしは彼らの名刺を見た。彼らとわたしが少し違うのは、ピラミッドを作った連合の枠外のものも含めてしまうということだ。
で、アメリカのモンロー研究所のスターラインズの案内のサイトを今日の朝に見たが、彼らも宇宙的な世界に案内するということをしているので、わりにわたしが言う恒星探索と似たようなことをしている。(彼らを35人のうちのひとりとカウントする。)
まあ違うのは、前から思っていたが、ヘミシンクの探索というのは、先に進むが、その手前の基礎部分に関しては、わりに手抜きするということで、基礎や土台が虚弱あるいは手薄になりやすいということだ。いかにもアメリカ的だ。
わたしのタロット道は、そもそも地球に落ちてきたというところからストーリーが始まり、基礎的なAtoZまで、全部抑えようということだ。基礎ががっちりと学習されていくので、突然途中で転落するということはない、
で、わたしが連合から依頼された案内所になって、というのは、つまりはわたしがちょっと暇なら、その暇な間、バイトあるいはボランティアしてもらえますかということだった。もしするなら、理論的に完全でなくてはならない。理論的に完全にするには、つまりはロゴスとしての完全体を貫くには、地球上でのガラパゴスルールである物理学などについても、理論的にどこがおかしいのか、提示しなくてはならないということもある。しかしこれはそんなに大した作業にはならない。旅を妨害する足かせを外すという目的でもある。
スターラインズのプログラムに比較すると、わたしが言うタロット道は、イントロ文と、本文というくらいの重みの違いがあるのではないかと思われる。
物理科学に関しては、一年くらい時間をかけてもいいのでは。のんびり。というのも、急ぐ話題ではないので。(まどろこしいので、途中で投げる可能性もある。それは連合がどういうかにかかっている。)
わたしが書いている本は、最近は、ずっと連合の会議の上で決まったコースに基づき書いているので、ひとりで勝手にやってるものではない。というより、わたしの心身は、もうひとりで勝手にというようなことができない構造になっているのだが。エーテル体は植物性で、それはすべてにつながり、つながる結果として、主客の分離がはっきりしなくなり、自分の孤立的意欲というのは弱まってしまう。動物体ならば、自分の熱、いまここにいる、忘却、あれよりこれ、というふうな選別ができるものなのだが、あいにく、歩くことを抑止され、もとの存在性にますます回帰することで、まるで前世に戻ったかのようで、十字に貼り付けになっている。(エーテルグリッドに張り付けられている)

71歳以後、(エーテルグリッドにするめのように拡大して)侵略的になることはわかっていても、それまでまだ5年くらいあるので、その間、吠える犬ミルジムときらきら輝く銀色の穂、スピカをするとしたら、何しますかね。
スターラインズ体験した人で、楽しかったことは何か?というようなことも聞いてみたい。タロット道で言えばスターラインズは、16のカードと少しだけ17星のカードをしているというところだろうか。あるいは惑星を入れるなら、8正義のカードも入るかと思ったが、おそらく統合化、全惑星意識にまとめるということはしないと思う。つまり発射台が、ぬかるみの上に建てられている。モンロー研にいて、ロバート・モンローに気に入られていたブルースモーエンの、宇宙知性に対するあまりの偏見を見て、彼は宇宙に行かず、自分のマインドの中を旅していたことがはっきりしていたが、しかし太陽系範囲としてのことに限定すれば、ブルースのメソッドは優れている。つまり太陽系を旅したが、太陽系の外には行かなかった。彼は恒星にそんなに親しみを感じていなかった。また愛は地球独自のものだと主張したげだが、地球に愛を教えたのは、ある恒星のグループだ。

あと、わたしの定年退職後のStars Settingの恒星パランは、
太陽に対してミルジム、アルニラム、アルゴル。
金星はスピカ。木星にアルファードと、ファクトがある。
これ全部いってみるというのもいいかもしれない。
ミルジムはずっと書く、しゃべる。
アルニラムは、月の軌道のステーションに関係して、タロット道の展開。
アルゴルはクンダリニに関係するが、これはわたしがQHHTのときにマグマの上にいて、暖かくて気持ちいいと思ったことも関連している話だ。ハワイの火山が噴火している。日本でも、あちこちで、火山は噴火する。そのたびに、わたしはいいねマークをつけてしまうが、ムラダーラチャクラの中に眠っている蛇が目覚めつつあるということだ。
世界の終わりのために、そこで眠っている蛇は、起きてはいないが、ちょっと夢を見て、いごいごしている。このクンダリニのメソッドを展開してもいいね。近未来的アルゴル・プログラムだ。腰のほうから上がる激流、嵐というのは、わたしがたびたび若い時期から見ていたイメージだ。これをうまく使うと、アケルナルも上手に扱えるだろう。そこに否定的な解釈は存在しなくなるだろう。グレイが進化するということにも関係する。根本的に言えば、湿潤なるフュシスが、二極化をこえて、神に戻るかどうかということに関わっている。それはそうとうの難題ではないか。

アルファードとファクトはあきらかにトゥルパを作ることに関係する。これが太陽系中では木星をバイパスにするということは、この路線をもっと拡大するか?しかしアルファードがあるので、ほんとに怖いよ。東日本震災と、同時期に富士山に爆弾をしかけて爆発させたのは、こういう実験のために利用されていたということもある。(つまりここでは、日本の頭は北海道ではなく、九州であるということを押し出した。)

こんな感じで、みなさんも、恒星に親しむのに、パランをもっと積極的に使うということもかなり役立つ。ヘミシンクではなく、市販のバイノーラルビートとか、mindspaを使って、ひとりで、恒星パランの示す恒星に旅して、そこで知り合いを作るというのはなかなかいい。知り合いができると、かならず夢の中に登場してくれる。(夢は肉体から少しばかり分離したアストラル体の体験だからである。)

アメリカ的なものとは、基礎が脆弱ということで、もうすこし補足する。西暦2300年あたりには、アメリカはほとんど衰退しきっており、インドが地球においてはもっともメジャーなものとなるというのは、南インドのナーギニーのようなアーキタイプが代表的なものとなるということで、これは簡単に言えばレプタリアンで、2300年ころの地球は、レプタリアンが代表的なものとなるということだ。わたしは母と主張した黒い怪物を諏訪大社の秋宮のヤサカノトメと言ったが、長野県のナーガというのも、あるいはミシャグジも、このレプタリアンの同族だ
人間型の宇宙人は、このレプタリアンというか、筒型の存在の助手のような立場にあるのだが、筒型は複数の宇宙の間をつなぐ性質があり、人間型というのは、特定の時間、特定の空間の中に固定されて生きるという違いがある。形に対するプライドがある。で、わたしがスピカに行くときに、通路の筒を作ってくれた男たちは、人間型と筒型の間を自由に行き来するが、これは進化したシリウス人たちだ。
神は神に似せて人間を作ったというように、西欧人は人間型はレプタリアンよりも優れているという信念体系があるが、これはかなり怪しげな思い込みだ。ロバートモンローは、体脱する時にロート型になることを好んだというが、レプタリアンの大きな拠点であるアルシオンの型アーキタイプは、ロート型というよりも、それが湾曲して、クライン瓶型になることが多い。例のコーヒーカップとドーナツは同じ形という数学の話のように、このロート型のバリエーションを考えてみるといいのかもしれない。

どこかに落ち着きたい時には、人間型になり、移動する時には、筒型になる。この間を自由に行き来する。そこで、その縮小形態として、肉体は人間型、もうひとつの身体のエーテル体は蛇というのが、おそらく理想の形態だろう。それをふたつくっつけたのが、ナーギニーみたいなものだ。おそらく人間型にこだわる西欧人の信念体系の残滓みたいなものがアメリカにあって、それが将来的にアメリカ精神やアメリカ思想の衰退を招く。
で、2300年にレプタリアンが主流の世界になるというのは、つまりはあちこちの次元とか、世界を行き来するトンネルみたいなものが生命体の形になるということでもあるので、つまりは閉鎖された地球ではなく、さまざまな宇宙との交易をする地球になるということだ。ただ、これは今の地球ではなく、脱皮した第二地球のことを示している。
じゃあ、不気味な韓国人、北朝鮮、日本みたいな、この気持ち悪い精神構造が、未来に主流になりますか?という質問については、ノーだ。韓国も北朝鮮も日本もないよ。むしろ日本は跡形もない、というくらいに言っておいたほうがわかりやすい。もっと別なものに変貌しなくてはならない。先代旧事本紀では、三代までは天皇は龍の形をしており、人間の形ではなかったと書いてあるが、天皇はプレアデスの子孫だという話は知られていて、つまりアマテラスの子孫ということだが、龍の形の間は子孫ではなく、むしろ直接地球にやってきたということだろう。すると記憶はそこでは失われていない。羽衣伝説の地上に残った娘の一人だ。ある時代に地上からは龍がいなくなった。そしてその後人間型が主流になった。これがベガが北極星になった時期だ。

でも、いまは、この人間型が、地球から退去する準備をしている。ゆっくりと。もちろんわたしが言う、アントロポースが地球から退去するという話とは違うものだ。退去したアントロポースは、第二地球に移動するだけだ。第二地球は、あちこちの宇宙とのパイプがあり、自由に行き来する。だから遠くに移動するということは考えなくていい。第二地球にいるというのは、そこに定住しますという意味ではない。いわば成田空港にいますよ、というような感じだ。いつでも動けるのだから。動けるように筒になっているのだから。今の地球に住んでいると、地球の外に行くには、ポートを探すのに苦労する。しかし火山の噴火が増えると、地球のエーテル体が浮き彫りになるので、すると前よりはポータルの場所は見つかりやすくなる。
人間型と蛇型は言い換えると、アストラル体とエーテル体と言えばいい。アストラル体はある時期から物質的欲望にとりつかれた。その結果として、アストラル体よりも低次の位置にあったエーテル体が不足を補って、アストラル体の上に位置することになり、それを霊我と呼ぶようになった。(龍型よりも人間型のほうが上にあるというのは、このアストラル体が欲にまみれたので、エーテル体がかわりに上に位置することになったというのを認めない古い考え方の名残でもある。アメリカ的自由とは、すべてにつながってしまう本性を持つエーテル体を切り離して、動物体としての個が自由に動ける状態をあらわしている。ブルース・モーエンも、わたしが根本的に人間は宇宙から自由になれないと言うと、この「自由」という言葉には反応した。やはりアメリカ人なんだとわたしは感じた。自由という信仰がある。)
西欧型意識は、シュタイナーが言うようにとことん物質主義的で、それはアストラル体の特性が強いと考えてもいい。アストラル体は動物性で、エーテル体は植物性だ。インド人は昔はとことん肉食べるのは嫌いだった。動物性ということで言えば、ヨーグルトは各家庭が朝に作っていた。わたしはインドのホームメイドのヨーグルトの、あの酸っぱい味が好きだが、日本では酸っぱいヨーグルトを売っていない。なので、アヒリヤとかでも、「自分たち用のヨーグルト隠し持ってるだろ、それ出してくれよ」と言ったりしていたのだが、出してくれたのは、希望どおりの硬くて酸っぱいヨーグルトだった。

で、わたしのタロット道、恒星探索をする人たちは、エーテル体は筒型に戻ってほしい。それは常に外宇宙の情報がなだれ込んでくるという意味でもある。また立方体の箱を維持する線、点になることでもある。(面になると、それは人間型の比率が高まる。)肉体にぴったり張り付くエーテル体。これをわたしは鉄仮面と呼んでいた。
古い時代、地球にやってきた魂は、いろんな事物の中に入っては、また抜け出していた。雲とか水とか海とか、山とかに入り、また抜けた。この入り、そして抜けるというのは自己同一化と、離脱をあらわしていて、つまりグルジェフの言う自己想起とは、あちこちに存在する印象に同化したままの存在から覚醒して抜け出すというメソッドだ。

印象への同一化から覚醒すると、より高次の印象に気づくようになる。濃密な感情に取り付かれていると、本人はそこに損なわれていくが、離脱した人は、この濃密な感情を対象化するので、そこになにやら気の塊があるのが見える。グルジェフの行法を実践すると、人の眠りを対象化してしまって、道を歩いていても、そこにいる人々がどのくらい寝ているかを見てしまうし、こういう気のエネルギィも、一体化しないで、対象化して、目の前に見るようになる。

オーラが見えるというのは、このオーラが示す感情・印象に同一化しないということでもある。11力のカードのように、下半身にある動物を身体から引き剥がしている。シュタイナーが言うような事物と象意を引き剥がすというのは、事物を見ているかのように、象意も視覚化して対象化することだ。多くの場合、象意とは、H24の速度の物質で、それを対象化するのは、意識がもっと高速になっていないといけないのだが。H24知性は言葉にとらわれず、その象意を理解するという抽象能力だ。つまりH48知性は、示されている象意を理解できず、言葉の形だけにとらわれてしまうという鈍重な知性という意味もあり、その場合、象意に飲み込まれている(同一化)ということだ。意識は、もっと高速になると、この象意をまるでモノのように視覚化して見てしまう。なので高次な領域においていろんなことが曖昧でぼうっとしているというのは、相対的に低次な印象に同一化しすぎているからということだ。結果的にはそうだ。

ある時期から、エーテル体は肉体にぴったりはりついたというのは、人間は決まりきった人間の形に同一化して、ずっとそこに張り付き続けることが正しいのだと思い込み始めたということだ。その形にふさわしい思考、感情、感覚などに埋没した。みんな同じ気持ち、考えかたにならなくてはならない、と教えられた。全員が鉄の足かせをつけられ、鉄仮面を被せられたのは、ここが実は刑務所だからだという人も多い。

















0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。